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『ノイトラール竜騎士団でのとある噂』
蓋を開けると、色とりどりの料理が目に飛びこんできた。チーズがたっぷりかかったスパゲッティは昨日の残り物。添え物になりそうなサラダには、残すなと言わんばかりに林檎や苺がふんだんに使われたフルーツサラダになっている。花形に切られた人参も目を引く。
メインは、何やら甘しょっぱい匂いがする照り焼き肉のサンドイッチだ。千切りされたキャベツもはさまって、質感はたっぷりある。彩りなど興味のないジークも、横で目を輝かせていた。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
「今日もすごいな、ジルちゃんところの弁当」
ちょうど同じ休憩時間に当たった見習い仲間が、ノイトラール竜騎士団の定食をのせて正面の席に座った。
「そっちだっておいしそうじゃないですか。あったかいし」
「それはありがたいんだけどなー。ここ定食か持ち帰りのサンドイッチしかないだろ。飽きるんだよなあ」
最初こそ年齢と性別で敬遠されがちだったが、同じ訓練をし何度も顔を合わせれば、知り合いは増える。特に今のジルは『魔力がちょっと強いだけの女の子』なので、気にかけてくれる青年もいる。
「毎日作ってもらってるんだっけ。家の人に」
「はい! 料理上手なんですよ。今日の晩ご飯はグラタンだって!」
「いいなあ~」
羨望の声に、ジルは鼻が高くなる。実際ハディスの料理は自慢したいくらいおいしい。横で無言で頬張っているジークもこればかりは同意するだろう。
「確か、ジークと同い年くらいなんだっけ。そのひと」
「ジークよりはちょっと下ですよ。あ、でもこれ以上は内緒です」
今のハディスはお尋ね者だ。世間話の範疇で正体がばれるとも思えないが、注意するにこしたことはない。
はあ、と誰かが溜め息と一緒に言った。
「いいよな、ジークは。ジルちゃんの面倒みてるお礼なんだっけ」
「まあな」
「やっぱジルちゃん似?」
「誰がですか」
「ジルちゃんのお姉さん」
フォークでスパゲティを巻きつけようとしたまま、ジルは首をかしげた。
お姉さん。姉。
「……どうでしょう、うーん……性格はあんまり似てないかも……?」
ふたりの姉を思い出しながらジルは答える。はは、と周囲に笑いが広がった。
「そりゃあその年で竜騎士になろうってジルちゃんと、そんなジルちゃんに毎日凝ったお弁当作ってくれるお姉さんだもんな」
「確か身体弱いんだっけ。だからジルちゃん、その年で働きに出たんだろ」
「え、あ、はい……?」
ジルが働きに出たのは表向き生活のためだということにしてある。実際そうだ。確か、身体の弱い家族のためにとかなんとか言ったような――事実、ハディスは身体が弱いし生活費は必要だった。
「ジークだけじゃなく俺たちにもできることあったら言ってくれよな、ジルちゃん」
「男手が必要なら、頭数だけはそろえられるしな」
「あ、いえ、今のところ男手はたりてますけど……」
逆にたりないのは女手だ。ジルひとりなのだから。素直に自己申告すると、あーと悲鳴じみたうめきがあがった。
「やっぱりぁあ……美人そうだもんな。ジルちゃんのお姉さん」
「はい……?」
「いや、忘れてくれジルちゃん。俺たちジルちゃんは仲間だと思ってるからな」
「どうも……」
「だからいつか紹介してくれよな、お姉さん」
ジルの姉はひとりは結婚しているし、もうひとりはすでに独り立ちして暗殺業をやっている。何よりクレイトスの人間だ、紹介などできる日がくるとは思えない――首をかしげつつ、かといって正直にそう申告するわけにもいかず、ジルは曖昧に頷き返しておく。
しかし、それにしても何か引っかかる感じだった。
いったいぜんたい、どこからジルの姉の話になったのだろう。確か最初は、お弁当の話で、それを作ってくれるひとの話――ハディスの話だったはずだ。
どうでもいいことだが妙に引っかかる。
そして得てしてそういうどうでもいいことは、突然のひらめきで引っかかりがほどけたりもする。
たとえば、からになったお弁当を、洗剤が入った桶につけたときとかに。
「――まさか、姉って陛下のことか!?」
「気づくの遅くねえか、隊長」
ジルと同じように、ジークが横でからの弁当箱を桶に突っ込んだ。
「い、いやだって、なんでそうなった!?」
「そりゃ、まあそういう想像がいちばんおさまりがいいからだろ。毎日俺と隊長に凝った弁当用意する身体の弱い家族ってさ。俺の恋人かって最初聞かれたからな」
「はああああ!?」
「そうすりゃ俺が隊長気にかけるのも説明しやすかったんだが、さすがに否定した」
「何、どうしたのふたりとも。おなかすいた?」
野菜を抱え、外からハディスが入ってきた。軍手をはずし、埃を玄関口ではらい、ジルににっこりと笑いかける。
「ごめんねジル、先にお風呂入ってくれるかな。今カミラが沸かしてくれてるから――っと」
ふらふらとハディスに近づいたジルは、両腕を回してぎゅうっと抱きつく。そして叫んだ。
「陛下の妻はわたしですから!!」
「えっあ、うん……?」
「なあに、どうしたのー?」
「職場で隊長に美人の姉貴がいると思われてる話」
「ああ」
大した説明もしてないのにカミラが納得してしまう。
(なんでだ!)
こちらを見つめる金の眼差しも、何度もまばたきを繰り返す長い睫も、困ったような唇の形も、何もかもが見つめれば見つめるほど形がいいとわかる。顔がいい。なんなら今、抱き締めている身体の肉付きもいい。完璧だ。美人だ。それは認める。
でもジルの夫だ。
悔しさがこみあげてきて、ジルは叫んだ。
「絶対に紹介なんかしません!」
「な、なんの話?」
「わたしのですからあ!」
ぎゅうぎゅうと抱きつけば、ハディスはまるで大人の男のひととみたいに、抱き上げて「そうだよ」と困ったようにささやいてくれた。
「ジルちゃんって意外とヤキモチ焼きよねえ。紹介したところであっちが絶望するだけでしょうに」
「俺はおすすめしねーけどな、紹介」
「なんでよ」
「隊長の姉貴なら美人なんじゃないかって言われてるから」
「……陛下に言わないほうがいいやつね」
「言わないほうがいいやつだ」
竜妃の騎士たちのうしろで、同意すると言わんばかりに「ぴよっ」とヒヨコもどきが鳴いた。
畳む
#やり竜
サイト書き下ろし
蓋を開けると、色とりどりの料理が目に飛びこんできた。チーズがたっぷりかかったスパゲッティは昨日の残り物。添え物になりそうなサラダには、残すなと言わんばかりに林檎や苺がふんだんに使われたフルーツサラダになっている。花形に切られた人参も目を引く。
メインは、何やら甘しょっぱい匂いがする照り焼き肉のサンドイッチだ。千切りされたキャベツもはさまって、質感はたっぷりある。彩りなど興味のないジークも、横で目を輝かせていた。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
「今日もすごいな、ジルちゃんところの弁当」
ちょうど同じ休憩時間に当たった見習い仲間が、ノイトラール竜騎士団の定食をのせて正面の席に座った。
「そっちだっておいしそうじゃないですか。あったかいし」
「それはありがたいんだけどなー。ここ定食か持ち帰りのサンドイッチしかないだろ。飽きるんだよなあ」
最初こそ年齢と性別で敬遠されがちだったが、同じ訓練をし何度も顔を合わせれば、知り合いは増える。特に今のジルは『魔力がちょっと強いだけの女の子』なので、気にかけてくれる青年もいる。
「毎日作ってもらってるんだっけ。家の人に」
「はい! 料理上手なんですよ。今日の晩ご飯はグラタンだって!」
「いいなあ~」
羨望の声に、ジルは鼻が高くなる。実際ハディスの料理は自慢したいくらいおいしい。横で無言で頬張っているジークもこればかりは同意するだろう。
「確か、ジークと同い年くらいなんだっけ。そのひと」
「ジークよりはちょっと下ですよ。あ、でもこれ以上は内緒です」
今のハディスはお尋ね者だ。世間話の範疇で正体がばれるとも思えないが、注意するにこしたことはない。
はあ、と誰かが溜め息と一緒に言った。
「いいよな、ジークは。ジルちゃんの面倒みてるお礼なんだっけ」
「まあな」
「やっぱジルちゃん似?」
「誰がですか」
「ジルちゃんのお姉さん」
フォークでスパゲティを巻きつけようとしたまま、ジルは首をかしげた。
お姉さん。姉。
「……どうでしょう、うーん……性格はあんまり似てないかも……?」
ふたりの姉を思い出しながらジルは答える。はは、と周囲に笑いが広がった。
「そりゃあその年で竜騎士になろうってジルちゃんと、そんなジルちゃんに毎日凝ったお弁当作ってくれるお姉さんだもんな」
「確か身体弱いんだっけ。だからジルちゃん、その年で働きに出たんだろ」
「え、あ、はい……?」
ジルが働きに出たのは表向き生活のためだということにしてある。実際そうだ。確か、身体の弱い家族のためにとかなんとか言ったような――事実、ハディスは身体が弱いし生活費は必要だった。
「ジークだけじゃなく俺たちにもできることあったら言ってくれよな、ジルちゃん」
「男手が必要なら、頭数だけはそろえられるしな」
「あ、いえ、今のところ男手はたりてますけど……」
逆にたりないのは女手だ。ジルひとりなのだから。素直に自己申告すると、あーと悲鳴じみたうめきがあがった。
「やっぱりぁあ……美人そうだもんな。ジルちゃんのお姉さん」
「はい……?」
「いや、忘れてくれジルちゃん。俺たちジルちゃんは仲間だと思ってるからな」
「どうも……」
「だからいつか紹介してくれよな、お姉さん」
ジルの姉はひとりは結婚しているし、もうひとりはすでに独り立ちして暗殺業をやっている。何よりクレイトスの人間だ、紹介などできる日がくるとは思えない――首をかしげつつ、かといって正直にそう申告するわけにもいかず、ジルは曖昧に頷き返しておく。
しかし、それにしても何か引っかかる感じだった。
いったいぜんたい、どこからジルの姉の話になったのだろう。確か最初は、お弁当の話で、それを作ってくれるひとの話――ハディスの話だったはずだ。
どうでもいいことだが妙に引っかかる。
そして得てしてそういうどうでもいいことは、突然のひらめきで引っかかりがほどけたりもする。
たとえば、からになったお弁当を、洗剤が入った桶につけたときとかに。
「――まさか、姉って陛下のことか!?」
「気づくの遅くねえか、隊長」
ジルと同じように、ジークが横でからの弁当箱を桶に突っ込んだ。
「い、いやだって、なんでそうなった!?」
「そりゃ、まあそういう想像がいちばんおさまりがいいからだろ。毎日俺と隊長に凝った弁当用意する身体の弱い家族ってさ。俺の恋人かって最初聞かれたからな」
「はああああ!?」
「そうすりゃ俺が隊長気にかけるのも説明しやすかったんだが、さすがに否定した」
「何、どうしたのふたりとも。おなかすいた?」
野菜を抱え、外からハディスが入ってきた。軍手をはずし、埃を玄関口ではらい、ジルににっこりと笑いかける。
「ごめんねジル、先にお風呂入ってくれるかな。今カミラが沸かしてくれてるから――っと」
ふらふらとハディスに近づいたジルは、両腕を回してぎゅうっと抱きつく。そして叫んだ。
「陛下の妻はわたしですから!!」
「えっあ、うん……?」
「なあに、どうしたのー?」
「職場で隊長に美人の姉貴がいると思われてる話」
「ああ」
大した説明もしてないのにカミラが納得してしまう。
(なんでだ!)
こちらを見つめる金の眼差しも、何度もまばたきを繰り返す長い睫も、困ったような唇の形も、何もかもが見つめれば見つめるほど形がいいとわかる。顔がいい。なんなら今、抱き締めている身体の肉付きもいい。完璧だ。美人だ。それは認める。
でもジルの夫だ。
悔しさがこみあげてきて、ジルは叫んだ。
「絶対に紹介なんかしません!」
「な、なんの話?」
「わたしのですからあ!」
ぎゅうぎゅうと抱きつけば、ハディスはまるで大人の男のひととみたいに、抱き上げて「そうだよ」と困ったようにささやいてくれた。
「ジルちゃんって意外とヤキモチ焼きよねえ。紹介したところであっちが絶望するだけでしょうに」
「俺はおすすめしねーけどな、紹介」
「なんでよ」
「隊長の姉貴なら美人なんじゃないかって言われてるから」
「……陛下に言わないほうがいいやつね」
「言わないほうがいいやつだ」
竜妃の騎士たちのうしろで、同意すると言わんばかりに「ぴよっ」とヒヨコもどきが鳴いた。
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#やり竜
サイト書き下ろし
『竜神様の子育て』
「ラーヴェ、お肉って叩くと柔らかくなっておいしくなるんだって」
ある日、物置から引っ張り出した料理本を見ていたハディスがそんなことを言い出した。
暖炉の前でごろごろしていたラーヴェは、ふうんと適当に相づちを返す。
「でも、叩く道具がなくって。重いのはぼく、大変だし……」
「んーまだなあ、あぶないからなあ」
辺境に送られて早一年がすぎた。それでもハディスはまだ六歳になったばかりの子どもだ。身の裡に宿る巨大な魔力の制御はまだまだあぶなっかしく、本人の体調も考えればあまり使わせたくない。
「食えないわけじゃねーなら、多少固くてもいいだろ」
工夫し改良を続けてここの暮らしにも慣れてきた。気を張り詰めねばならなかった帝城に比べれば、精神的には快適になったと言ってもいい。贅沢は言わず、危険より安全をとるべきである。
「でも、おいしいって。やってみたい」
怖い母親もいじめっ子のきょうだいもいなくなった安心感からか、ずいぶんハディスは自己主張をするようになってきた。
ラーヴェに対してはもともとわがままじみたところはあったが、今はラーヴェしかいないせいで、本当にわがままになってきている気がするのが悩みの種だ。挑戦と無謀、向上心とわがまま、どこまで許容するのが正解なのかわからない。子育とはかくも難解なものである。
「やりたいっつってもなあ……」
「あのね、ぼく、考えたんだ! 天剣で叩けばいいんじゃないかって」
「は?」
「ほら、天剣って平べったいでしょ」
「ひ、ひらべった……?」
「軽いし!」
それはハディスが天剣の正統な使い手なのだから当然――とかそういう問題じゃない。
「天剣に変わってよ、ラーヴェ。鹿肉まだ残ってるから!」
「はーーーーーーーーーー!? おま、おまっ天剣をなんだと! 薪割りだけでも許せないっつーのに肉を叩けと!?」
「こないだラーヴェも林檎切ってたでしょ」
「あれっあれはっ……面倒だったからついだ! 本意じゃない!」
「そこ、違いあるのかなあ……おいしいお肉、ラーヴェも食べたくない?」
「そら食いたいが!? 食いたいがなあ」
「これも工夫だよ!」
絶句した理の神に、名案とばかりにハディスが笑顔で告げる。子どもはいつだって残酷だ。
■■■
竜神ラーヴェ、地上に降りて早千年。
度重なる争いにより神格を落とし、姿も変わってしまった。けれどこの大陸の理を守るため幾度となく目覚め、人々を見守ってきた――その果てが、まさかの肉叩き。
ちなみに天剣とは神の力を顕現させる神器であり、膨大な魔力が要求されるため普通の人間では扱えず、正統な使い手である竜帝ただひとりがその真の威力を発揮できる。
「せえのっ!」
その天剣が今、正統な持ち主により、鹿肉に向けて振り下ろされた。
ばん、ばん、と肉を叩く音を聞きながら、ラーヴェは泣きたくなる。
『なんでっ俺がっこんな目にっ』
「ラーヴェ、ちゃんと力こめて!」
『力ってなんだ、魔力か!? どういう状態これ!?』
「重くなって! そう、そのくらい! えいっ! やあっ!」
銀の粒をまく天の剣を真剣に、だが軽々と持ち上げるハディスの姿は、幼くともまさに竜帝――とか感動できるわけもなく。
「これくらい……かな……!?」
肉の叩き具合を確かめているハディスの横で、半泣きでラーヴェは天剣の姿を解いた。気のせいだろうか、肉の匂いが付いた気がする。
「天剣……天剣をなんだと……これだから人間は!」
「わーい、できたよラーヴェ! 今日はおいしいお肉だ!」
「そうかよよかったな! 俺は千三百年も竜神やっててこんな屈辱初めてだよ!」
生まれたときから一緒にいるハディスは、竜神の怒りに動じもしない。塩をかけようなどと張り切っている。
「ラーヴェはケチなんだよ」
しかもどこで覚えたのか、そんなことを言い出す有り様だ。
「薪割りだって、ぼくがおっきくなるまでだって。ラーヴェがお肉とってくれれば、ぼく、弓の練習とかしなくていいのに。魚だってさ」
「あのなあ、何度も言わせるな。お前は竜帝だけど人間なの。天剣とか俺に頼らずに、ちゃんと自分のことは自分でできる大人になるんだよ」
「でもラーヴェ、なんにもしなかったら竜じゃなくて、ただの羽のはえた太った蛇になっちゃうよ?」
「お前、最近そういう意地の悪い言い回しをどこで覚えてくるんだよ、ほんと……」
羽を動かしてハディスの手元を覗きこむ。ああ、肉に塩を揉み込む手つきもずいぶん慣れてきた。包丁を扱う手も、もうあぶなっかしくない。
――まだ、こんなに小さいのに。
「でも、ぼくがおとなになるまでは、手伝ってよね」
「……しょうがないからな」
嬉しそうに笑ったハディスが、肉をまな板ごと差し出した。
「じゃあ天剣になって、これ一口サイズに切って」
無邪気な子どもの願いごとに、理の神はにっこりと笑って諭す。
「断る、自分でやれ」
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#やり竜
サイト書き下ろし
「ラーヴェ、お肉って叩くと柔らかくなっておいしくなるんだって」
ある日、物置から引っ張り出した料理本を見ていたハディスがそんなことを言い出した。
暖炉の前でごろごろしていたラーヴェは、ふうんと適当に相づちを返す。
「でも、叩く道具がなくって。重いのはぼく、大変だし……」
「んーまだなあ、あぶないからなあ」
辺境に送られて早一年がすぎた。それでもハディスはまだ六歳になったばかりの子どもだ。身の裡に宿る巨大な魔力の制御はまだまだあぶなっかしく、本人の体調も考えればあまり使わせたくない。
「食えないわけじゃねーなら、多少固くてもいいだろ」
工夫し改良を続けてここの暮らしにも慣れてきた。気を張り詰めねばならなかった帝城に比べれば、精神的には快適になったと言ってもいい。贅沢は言わず、危険より安全をとるべきである。
「でも、おいしいって。やってみたい」
怖い母親もいじめっ子のきょうだいもいなくなった安心感からか、ずいぶんハディスは自己主張をするようになってきた。
ラーヴェに対してはもともとわがままじみたところはあったが、今はラーヴェしかいないせいで、本当にわがままになってきている気がするのが悩みの種だ。挑戦と無謀、向上心とわがまま、どこまで許容するのが正解なのかわからない。子育とはかくも難解なものである。
「やりたいっつってもなあ……」
「あのね、ぼく、考えたんだ! 天剣で叩けばいいんじゃないかって」
「は?」
「ほら、天剣って平べったいでしょ」
「ひ、ひらべった……?」
「軽いし!」
それはハディスが天剣の正統な使い手なのだから当然――とかそういう問題じゃない。
「天剣に変わってよ、ラーヴェ。鹿肉まだ残ってるから!」
「はーーーーーーーーーー!? おま、おまっ天剣をなんだと! 薪割りだけでも許せないっつーのに肉を叩けと!?」
「こないだラーヴェも林檎切ってたでしょ」
「あれっあれはっ……面倒だったからついだ! 本意じゃない!」
「そこ、違いあるのかなあ……おいしいお肉、ラーヴェも食べたくない?」
「そら食いたいが!? 食いたいがなあ」
「これも工夫だよ!」
絶句した理の神に、名案とばかりにハディスが笑顔で告げる。子どもはいつだって残酷だ。
■■■
竜神ラーヴェ、地上に降りて早千年。
度重なる争いにより神格を落とし、姿も変わってしまった。けれどこの大陸の理を守るため幾度となく目覚め、人々を見守ってきた――その果てが、まさかの肉叩き。
ちなみに天剣とは神の力を顕現させる神器であり、膨大な魔力が要求されるため普通の人間では扱えず、正統な使い手である竜帝ただひとりがその真の威力を発揮できる。
「せえのっ!」
その天剣が今、正統な持ち主により、鹿肉に向けて振り下ろされた。
ばん、ばん、と肉を叩く音を聞きながら、ラーヴェは泣きたくなる。
『なんでっ俺がっこんな目にっ』
「ラーヴェ、ちゃんと力こめて!」
『力ってなんだ、魔力か!? どういう状態これ!?』
「重くなって! そう、そのくらい! えいっ! やあっ!」
銀の粒をまく天の剣を真剣に、だが軽々と持ち上げるハディスの姿は、幼くともまさに竜帝――とか感動できるわけもなく。
「これくらい……かな……!?」
肉の叩き具合を確かめているハディスの横で、半泣きでラーヴェは天剣の姿を解いた。気のせいだろうか、肉の匂いが付いた気がする。
「天剣……天剣をなんだと……これだから人間は!」
「わーい、できたよラーヴェ! 今日はおいしいお肉だ!」
「そうかよよかったな! 俺は千三百年も竜神やっててこんな屈辱初めてだよ!」
生まれたときから一緒にいるハディスは、竜神の怒りに動じもしない。塩をかけようなどと張り切っている。
「ラーヴェはケチなんだよ」
しかもどこで覚えたのか、そんなことを言い出す有り様だ。
「薪割りだって、ぼくがおっきくなるまでだって。ラーヴェがお肉とってくれれば、ぼく、弓の練習とかしなくていいのに。魚だってさ」
「あのなあ、何度も言わせるな。お前は竜帝だけど人間なの。天剣とか俺に頼らずに、ちゃんと自分のことは自分でできる大人になるんだよ」
「でもラーヴェ、なんにもしなかったら竜じゃなくて、ただの羽のはえた太った蛇になっちゃうよ?」
「お前、最近そういう意地の悪い言い回しをどこで覚えてくるんだよ、ほんと……」
羽を動かしてハディスの手元を覗きこむ。ああ、肉に塩を揉み込む手つきもずいぶん慣れてきた。包丁を扱う手も、もうあぶなっかしくない。
――まだ、こんなに小さいのに。
「でも、ぼくがおとなになるまでは、手伝ってよね」
「……しょうがないからな」
嬉しそうに笑ったハディスが、肉をまな板ごと差し出した。
「じゃあ天剣になって、これ一口サイズに切って」
無邪気な子どもの願いごとに、理の神はにっこりと笑って諭す。
「断る、自分でやれ」
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#やり竜
サイト書き下ろし
【リングフィットをやる魔王夫妻】
「竜帝夫妻に負けませんわよ、クロード様!」
「ジル嬢がいる時点であちらの圧勝だろう」
「あら、クロード様がリングコンを持った時点でこちらの勝ちです」
「は?」
「さらに運動用のぴちぴちな衣装を着せたら完勝ですわ、おほほほ」
「勝敗の基準がおかしい」
「では早速ゲームを開始…」
「待て。その前に君の服を買いに行こう」
「え? わたくしは別にこれで」
「だめだ。ぴちぴちのやつだ」
「真顔で言いましたわね。でも早くプレイしないと出遅れてしまいます」
「あとはスポーツ用ドリンクも必要だ。準備は大切だろう」
「クロード様、本当に形から入るのがお好きですわね……」
「だいぶ遅れをとった気がしますが始めましょう!」
「大丈夫だ、どうせあちらはジル嬢が色々やって進んでない」
「まずストレッチですわ!」
「怪我の防止だな」
「このゲーム、ストレッチも入ってるんですって。本格的ですわね」
「だがこれだけでは足りない。ふたりでストレッチを加えよう」
「クロード様、実はやる気ありませんわね?」
「入念にストレッチしたいだけだ」
「や、やっとプレイ画面…ここから追い上げます!」
「無理では?」
「誰のせいだと!?」
「だが僕は敵情視察用に竜帝のプレイ動画配信を見つけたぞ」
「あら。あちらはどこまで進…」
『陛下かっこいい!』『えっそうかな~』
「「……」」
「頑張りましょうクロード様。いらっとしました」
「同感だ」
「け、結構きついんですけれども…っ」
「僕に合わせて無茶をするからだ。水を飲んで」
「は、はい。…クロード様は汗ひとつかきませんわね」
「いや疲れている」
「その顔で……?」
「顔と関係ないだろう」
「こうなったらクロード様が汗を滴らせるまで頑張ります!」
「なら僕は君が子鹿のように立てなくなるまで頑張ろう」
「またよからぬことをたくらんでますわね!?」
「どちらがだ」
「このゲームの魔物達は可愛いな」
「そ、そうです、わね…回復されたり馬鹿にされたりしますが…あとステッ●とかいう魔物の顔が憎たらしい…!」
「しかしドラ●という奴は、こんなに魔物達が倒されているのに助けにこないとは魔王失格だ」
「えっ魔王なんですの、ドラ●?」
「違うのか」
「違う…と思いますけれど」
「そうか…なら僕がクリアして魔王にならねば」
「それも違いません!?」
「僕のプランクが…間違っている…と…?」
「ク、クロード様! 落ち着いて、これは感知的な問題が」
「そんな馬鹿な…僕が感知されない…」
「いえ、完璧なプランクでした! 間違っているのはコントローラーのほうです!」
「…そうか?」
「そうです。ほらわたくしも感知されな――あっ」
「…されたな、一発で」
「こ、これは運よくで」
「僕はプランク魔王になる。プランクを完璧にできるようになるまでやり続ける」
「バランス良く運動しましょう!?」
「無事か、アイリーン」
「だ、大丈夫ですわこれしきの筋肉痛ッ…!」
「僕に負荷を合わせて無茶をするから…何かほしいものは? コンビニで買ってこよう」
「クロード様がコンビニ!?」
「僕だってコンビニくらいは行ける」
「本気で仰ってますの…!?」
「…そういうことを言うなら、君をお姫様抱っこで連れて行く」
「それはちょっ…クロード様待って、わたくしが悪かったですから!」
畳む
#悪ラス
2021年Twitter初出
「竜帝夫妻に負けませんわよ、クロード様!」
「ジル嬢がいる時点であちらの圧勝だろう」
「あら、クロード様がリングコンを持った時点でこちらの勝ちです」
「は?」
「さらに運動用のぴちぴちな衣装を着せたら完勝ですわ、おほほほ」
「勝敗の基準がおかしい」
「では早速ゲームを開始…」
「待て。その前に君の服を買いに行こう」
「え? わたくしは別にこれで」
「だめだ。ぴちぴちのやつだ」
「真顔で言いましたわね。でも早くプレイしないと出遅れてしまいます」
「あとはスポーツ用ドリンクも必要だ。準備は大切だろう」
「クロード様、本当に形から入るのがお好きですわね……」
「だいぶ遅れをとった気がしますが始めましょう!」
「大丈夫だ、どうせあちらはジル嬢が色々やって進んでない」
「まずストレッチですわ!」
「怪我の防止だな」
「このゲーム、ストレッチも入ってるんですって。本格的ですわね」
「だがこれだけでは足りない。ふたりでストレッチを加えよう」
「クロード様、実はやる気ありませんわね?」
「入念にストレッチしたいだけだ」
「や、やっとプレイ画面…ここから追い上げます!」
「無理では?」
「誰のせいだと!?」
「だが僕は敵情視察用に竜帝のプレイ動画配信を見つけたぞ」
「あら。あちらはどこまで進…」
『陛下かっこいい!』『えっそうかな~』
「「……」」
「頑張りましょうクロード様。いらっとしました」
「同感だ」
「け、結構きついんですけれども…っ」
「僕に合わせて無茶をするからだ。水を飲んで」
「は、はい。…クロード様は汗ひとつかきませんわね」
「いや疲れている」
「その顔で……?」
「顔と関係ないだろう」
「こうなったらクロード様が汗を滴らせるまで頑張ります!」
「なら僕は君が子鹿のように立てなくなるまで頑張ろう」
「またよからぬことをたくらんでますわね!?」
「どちらがだ」
「このゲームの魔物達は可愛いな」
「そ、そうです、わね…回復されたり馬鹿にされたりしますが…あとステッ●とかいう魔物の顔が憎たらしい…!」
「しかしドラ●という奴は、こんなに魔物達が倒されているのに助けにこないとは魔王失格だ」
「えっ魔王なんですの、ドラ●?」
「違うのか」
「違う…と思いますけれど」
「そうか…なら僕がクリアして魔王にならねば」
「それも違いません!?」
「僕のプランクが…間違っている…と…?」
「ク、クロード様! 落ち着いて、これは感知的な問題が」
「そんな馬鹿な…僕が感知されない…」
「いえ、完璧なプランクでした! 間違っているのはコントローラーのほうです!」
「…そうか?」
「そうです。ほらわたくしも感知されな――あっ」
「…されたな、一発で」
「こ、これは運よくで」
「僕はプランク魔王になる。プランクを完璧にできるようになるまでやり続ける」
「バランス良く運動しましょう!?」
「無事か、アイリーン」
「だ、大丈夫ですわこれしきの筋肉痛ッ…!」
「僕に負荷を合わせて無茶をするから…何かほしいものは? コンビニで買ってこよう」
「クロード様がコンビニ!?」
「僕だってコンビニくらいは行ける」
「本気で仰ってますの…!?」
「…そういうことを言うなら、君をお姫様抱っこで連れて行く」
「それはちょっ…クロード様待って、わたくしが悪かったですから!」
畳む
#悪ラス
2021年Twitter初出
【リングフィットをやる竜帝夫妻】
「なんなの突然」
「魔王ご夫妻もやるんですよ、負けられません!」
「なんでまた」
「以前3日坊主で投げた作者が今回こそクリアすると頑張っていたところ23面まであると知ってネタにでもしてないとやってられないと企画したそうです」
「私情にもほどがない?」
「このドラ●って奴が悪者ですね!」
「そうかな~味方面してるリン●のほうがあやしいよ」
「え…」
「僕らを利用してるんだ…信用できない」
「陛下…任●堂様はそんなひどいゲーム作りませんよ」
「君はヨッ●ーを乗り捨てたことがないって言うの!?」
「それはプレイヤーが」
「僕は悪くない!」
「右! 左! みぎ! ひだり!」
「ジル…さっきからモモアゲアゲにその動き何」
「はい、蹴りを加えてます!」
「なんでアレンジするの!?」
「いいから陛下も一緒に、右! 左! とりゃ! そりゃ! 蹴り上げ! 回し蹴り! あれっ感知しない…」
「ちゃんとミ○リさんの言うこときいてあげて」
「リングアロー、姿勢がよくわかんないんだよね」
「狩りで弓を使う感じでやったらどうですか?」
「んーこう?」
「陛下かっこいい!」
「えっそうかな~」
「もう一回やってください!」
「え~」
「かっこいい~~!」
「ええぇ~~?」
「わたしの陛下がかっこいい~~!」
「そ、そうかな~~!?」
「陛下~このレモンの蜂蜜漬けおいしいです~!」
「摘まみ食いしない。水分とタオルはここに置いておくよ」
「はい! 今日もプレイしましょう!」
「待って、お風呂も焚いておくから。終わったら入って。服は全部洗濯ね」
「わたし、陛下と結婚してよかった~」
「そ、そんなこと言ったって…プロテイン入りの牛乳くらいしか用意しないから!」
「陛下大好き~~~~!」
「あー負けちゃいました! スムージー使えばよかったかな…」
「ボス戦以外は節約したほうがいいよ。敵の弱点とか攻撃範囲考えてスキルセットするほうが先」
「むー。でも、現実のわたしは負けてないですよ!」
「うん、でも画面の中のキャラが負けてるからね」
「ボスのドラ●だって、画面の中から出てきてくれればわたし、勝てると思うんですよ!」
「ゲームと現実の区別はつけようね」
「陛下~~プランク、姿勢を感知しません!」
「あー感知されるまでに体力使っちゃうよね」
「ちゃんとやってるのに…」
「そういうときは、太股のを外して、床に水平にするんだよ。はい、感知した」
「ずるでは…?」
「そんなことないよ。付け直して運動するんだし」
「え~でも…」
「そもそも僕のプランクを感知しないとか許されるわけないから…」
「ちゃ、ちゃんとやることが大事ですよね!」
「今日はお休みだから買い出しいくよ~ジル」
「はーい。わたしパフェ食べたいです」
「だめ。運動用のウェアいくつか買おう。帰ったら洗濯終わってるから、一緒に干そうね」
「はい! 陛下にまかせてたらばっちりですね」
「ほめてもパフェはだめ」
「甘いものは疲労回復にいいですよ。わたし、陛下と巨大パフェはんぶんこしたいな~」
「そ、そんなふうに言ってもだめ!」
「あーんってしたいな~」
「え…そ、そんなに~!?」
「したいな~あーん」
「な、なら…しょうがないかなっ」
「やったー!」
畳む
#やり竜
2021年Twitter初出
「なんなの突然」
「魔王ご夫妻もやるんですよ、負けられません!」
「なんでまた」
「以前3日坊主で投げた作者が今回こそクリアすると頑張っていたところ23面まであると知ってネタにでもしてないとやってられないと企画したそうです」
「私情にもほどがない?」
「このドラ●って奴が悪者ですね!」
「そうかな~味方面してるリン●のほうがあやしいよ」
「え…」
「僕らを利用してるんだ…信用できない」
「陛下…任●堂様はそんなひどいゲーム作りませんよ」
「君はヨッ●ーを乗り捨てたことがないって言うの!?」
「それはプレイヤーが」
「僕は悪くない!」
「右! 左! みぎ! ひだり!」
「ジル…さっきからモモアゲアゲにその動き何」
「はい、蹴りを加えてます!」
「なんでアレンジするの!?」
「いいから陛下も一緒に、右! 左! とりゃ! そりゃ! 蹴り上げ! 回し蹴り! あれっ感知しない…」
「ちゃんとミ○リさんの言うこときいてあげて」
「リングアロー、姿勢がよくわかんないんだよね」
「狩りで弓を使う感じでやったらどうですか?」
「んーこう?」
「陛下かっこいい!」
「えっそうかな~」
「もう一回やってください!」
「え~」
「かっこいい~~!」
「ええぇ~~?」
「わたしの陛下がかっこいい~~!」
「そ、そうかな~~!?」
「陛下~このレモンの蜂蜜漬けおいしいです~!」
「摘まみ食いしない。水分とタオルはここに置いておくよ」
「はい! 今日もプレイしましょう!」
「待って、お風呂も焚いておくから。終わったら入って。服は全部洗濯ね」
「わたし、陛下と結婚してよかった~」
「そ、そんなこと言ったって…プロテイン入りの牛乳くらいしか用意しないから!」
「陛下大好き~~~~!」
「あー負けちゃいました! スムージー使えばよかったかな…」
「ボス戦以外は節約したほうがいいよ。敵の弱点とか攻撃範囲考えてスキルセットするほうが先」
「むー。でも、現実のわたしは負けてないですよ!」
「うん、でも画面の中のキャラが負けてるからね」
「ボスのドラ●だって、画面の中から出てきてくれればわたし、勝てると思うんですよ!」
「ゲームと現実の区別はつけようね」
「陛下~~プランク、姿勢を感知しません!」
「あー感知されるまでに体力使っちゃうよね」
「ちゃんとやってるのに…」
「そういうときは、太股のを外して、床に水平にするんだよ。はい、感知した」
「ずるでは…?」
「そんなことないよ。付け直して運動するんだし」
「え~でも…」
「そもそも僕のプランクを感知しないとか許されるわけないから…」
「ちゃ、ちゃんとやることが大事ですよね!」
「今日はお休みだから買い出しいくよ~ジル」
「はーい。わたしパフェ食べたいです」
「だめ。運動用のウェアいくつか買おう。帰ったら洗濯終わってるから、一緒に干そうね」
「はい! 陛下にまかせてたらばっちりですね」
「ほめてもパフェはだめ」
「甘いものは疲労回復にいいですよ。わたし、陛下と巨大パフェはんぶんこしたいな~」
「そ、そんなふうに言ってもだめ!」
「あーんってしたいな~」
「え…そ、そんなに~!?」
「したいな~あーん」
「な、なら…しょうがないかなっ」
「やったー!」
畳む
#やり竜
2021年Twitter初出
『ポンパ巻き貝ハーフアップ梅雨の戦い・後編』
寝室の扉が開く音に咳払いをして、アイリーンは振り向く。
「おかえりなさいませ、クロードさ……」
咄嗟に口元を両手でふさいで噴き出さなかった自分をほめたい。
だがそのまま震えてしまうのは押さえられなかった。
昼間、アイリーンが巻き貝にした頭にさらに鳥籠を盛って現れたときから覚悟はできていた――クロードの髪型がそう、庭になるくらいは。
だが、現実は常に厳しい。
「な、なん、ですの、その髪型」
「宮殿だそうだ」
では、横髪を持ちあげて上でくくり、花で飾っているのは門。その奥、鳥籠をうまく柱にして、髪や飾りを盛って作られているのは宮殿か。
「お、重たくありませんか」
「重たい」
「湯浴みは」
「これからだ――で、はずしていいだろうか?」
クロードが頭の上を指でさして、首をかしげる。それだけでもうだめだった。寝台に突っ伏したアイリーンは全身を震わせて笑う。
「機嫌が直ったなら何よりだ」
「む、むしろクロード様、よく一日耐えて……ああ、お待ちくださいな。無理に引っ張ったら髪が傷みます」
寝台に腰かけたクロードのうしろに回り、アイリーンはそっとクロードの髪を留めているピンを抜いていく。
はらりと一房、黒い艶やかな髪が落ちた。
「……」
しばっている髪をほどくとまたさらりと髪が流れ落ちる。
「……」
花飾りを引き抜くと、さらっと前に髪が流れていった。
だんだん半眼になってきたアイリーンは無言で最後、鳥籠を取りあげた。
さらりと背中にしなやかに黒髪が落ちる。
「ありがとう。……アイリーン?」
「どうして癖のひとつもついてませんの!?」
叫んだアイリーンはクロードのうしろ髪を握る。だがさらさらだし、つやつやしているし、あれだけ塗りたくった薬も何もなかったかのように輝いている。
「許せませんわ、どういうことですか!?」
「そんなことを言われてもな」
「何が違うんです!? 実は形状記憶合金!? それとも髪の手入れ!? 何を使っておられましたクロード様!?」
「特に変わったことはしていないと思うが……」
「ないなんて言わないでください! 絶対! 何かあります! あると言ってください……!」
両手で顔を覆って懇願するアイリーンに少し考えこんだクロードは、自分の髪を見て、それからちょっと首をかしげる。
「じゃあ、確かめてみたらどうだ」
「何をです!? クロード様の天賦の才能をですか!」
「湯浴みを」
にっこりと笑われて、アイリーンはそのまま固まった。
■
「――で、今日はご機嫌なんですね? 晴れるくらいには」
「そうだな。あんなわけのわからない髪型をしただけの対価は得たからな、湯船で」
朝の珈琲を飲みながら、ゆっくり従者と語り合う。ちなみに愛らしい妻は未だ寝室だ。多分、昼まで起き上がれないだろう。
「本当に僕の妻は、いつも努力を斜め上に走らせるから可愛い」
「では、今日は私めが支度してもよろしいので?」
「ああ。寝室からこちらを恨みがましくのぞき見しているアイリーンには気づかないふりをしてくれ」
「あ、あれやっぱりのぞいてらっしゃるんですね……どうしてまた」
「夜会でお前が僕の髪をいじると毛先が曲がるだろう。何をしているのかと」
「なるほど」
櫛やら何やら取り出してきたキースは眼鏡を押し上げて、にっこり笑った。
「それは秘密ですね」
「だろうな」
畳む
#悪ラス
2020年Twitter初出
寝室の扉が開く音に咳払いをして、アイリーンは振り向く。
「おかえりなさいませ、クロードさ……」
咄嗟に口元を両手でふさいで噴き出さなかった自分をほめたい。
だがそのまま震えてしまうのは押さえられなかった。
昼間、アイリーンが巻き貝にした頭にさらに鳥籠を盛って現れたときから覚悟はできていた――クロードの髪型がそう、庭になるくらいは。
だが、現実は常に厳しい。
「な、なん、ですの、その髪型」
「宮殿だそうだ」
では、横髪を持ちあげて上でくくり、花で飾っているのは門。その奥、鳥籠をうまく柱にして、髪や飾りを盛って作られているのは宮殿か。
「お、重たくありませんか」
「重たい」
「湯浴みは」
「これからだ――で、はずしていいだろうか?」
クロードが頭の上を指でさして、首をかしげる。それだけでもうだめだった。寝台に突っ伏したアイリーンは全身を震わせて笑う。
「機嫌が直ったなら何よりだ」
「む、むしろクロード様、よく一日耐えて……ああ、お待ちくださいな。無理に引っ張ったら髪が傷みます」
寝台に腰かけたクロードのうしろに回り、アイリーンはそっとクロードの髪を留めているピンを抜いていく。
はらりと一房、黒い艶やかな髪が落ちた。
「……」
しばっている髪をほどくとまたさらりと髪が流れ落ちる。
「……」
花飾りを引き抜くと、さらっと前に髪が流れていった。
だんだん半眼になってきたアイリーンは無言で最後、鳥籠を取りあげた。
さらりと背中にしなやかに黒髪が落ちる。
「ありがとう。……アイリーン?」
「どうして癖のひとつもついてませんの!?」
叫んだアイリーンはクロードのうしろ髪を握る。だがさらさらだし、つやつやしているし、あれだけ塗りたくった薬も何もなかったかのように輝いている。
「許せませんわ、どういうことですか!?」
「そんなことを言われてもな」
「何が違うんです!? 実は形状記憶合金!? それとも髪の手入れ!? 何を使っておられましたクロード様!?」
「特に変わったことはしていないと思うが……」
「ないなんて言わないでください! 絶対! 何かあります! あると言ってください……!」
両手で顔を覆って懇願するアイリーンに少し考えこんだクロードは、自分の髪を見て、それからちょっと首をかしげる。
「じゃあ、確かめてみたらどうだ」
「何をです!? クロード様の天賦の才能をですか!」
「湯浴みを」
にっこりと笑われて、アイリーンはそのまま固まった。
■
「――で、今日はご機嫌なんですね? 晴れるくらいには」
「そうだな。あんなわけのわからない髪型をしただけの対価は得たからな、湯船で」
朝の珈琲を飲みながら、ゆっくり従者と語り合う。ちなみに愛らしい妻は未だ寝室だ。多分、昼まで起き上がれないだろう。
「本当に僕の妻は、いつも努力を斜め上に走らせるから可愛い」
「では、今日は私めが支度してもよろしいので?」
「ああ。寝室からこちらを恨みがましくのぞき見しているアイリーンには気づかないふりをしてくれ」
「あ、あれやっぱりのぞいてらっしゃるんですね……どうしてまた」
「夜会でお前が僕の髪をいじると毛先が曲がるだろう。何をしているのかと」
「なるほど」
櫛やら何やら取り出してきたキースは眼鏡を押し上げて、にっこり笑った。
「それは秘密ですね」
「だろうな」
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#悪ラス
2020年Twitter初出
『ポンパ巻き貝ハーフアップ梅雨の戦い・前編』
魔王様のご機嫌に関係なく、雨が降る季節になった。
鏡台の前に櫛を置いて、アイリーンは嘆息する。するとソファに座り、執務前の休憩、食後の珈琲を飲んでいたクロードがまばたいた。
「どうした、アイリーン。何か気鬱なことでも?」
「いえ、髪が……こう、なんていえばよろしいのか……ぼわっとしてしまうのが気になって気になって」
レイチェルたち侍女達とも毎朝悪戦苦闘するのだが、どうしても今時期は湿気で髪が膨らみがちだ。
「結んでしまえばいいんですけれども……」
髪先をいじりながら、アイリーンは嘆息する。立ちあがったクロードがわざわざ背後から小首を傾げて覗きこんできた。さらりと湿気も何も関係ない、艶やかな髪が目の前に流れる。
「髪型のひとつやふたつ気にせずとも、君はいつも可愛い」
甘くささやく夫に、アイリーンは笑顔を返す。
「クロード様に言われると腹が立つので控えていただけますか」
「……手厳しいな」
「こんなつやつやの髪をなさって、そんなことをおっしゃるからです。どれだけわたくしが苦労してると思いますの」
ぐいぐいと遠慮なくクロードの髪をひっぱると、クロードが顔をしかめた。
「わかった、配慮に欠ける発言だった」
「認められても腹が立ちますわね」
「どうしろと」
「どうもこうもありません」
羨んだところでクロードの雨にも風にも湿気にも負けない髪が手に入るわけではない――と言おうとして、アイリーンは口をつぐむ。
いいことを思いついた。
「……なんなんですか、我が主。その髪型」
「よくわからないが今日一日この髪型でいろと言われた」
頭の上に巻き貝のようにねじり上げて作られた髪型が重い。ぐるぐる渦をまいた髪の間に花飾りまで散りばめられて、なんだか肩が凝る。
「髪が爆発する苦労を知れと言われた」
「なんかそれ、違いません?」
「僕もそう思うんだが、妻がご機嫌になったのでまあいいかと」
キースが呆れて雨の降る窓の外を見る。
「今日も平和でいいですねえ」
「まったくだ」
畳む
#悪ラス
2020年Twitter初出
魔王様のご機嫌に関係なく、雨が降る季節になった。
鏡台の前に櫛を置いて、アイリーンは嘆息する。するとソファに座り、執務前の休憩、食後の珈琲を飲んでいたクロードがまばたいた。
「どうした、アイリーン。何か気鬱なことでも?」
「いえ、髪が……こう、なんていえばよろしいのか……ぼわっとしてしまうのが気になって気になって」
レイチェルたち侍女達とも毎朝悪戦苦闘するのだが、どうしても今時期は湿気で髪が膨らみがちだ。
「結んでしまえばいいんですけれども……」
髪先をいじりながら、アイリーンは嘆息する。立ちあがったクロードがわざわざ背後から小首を傾げて覗きこんできた。さらりと湿気も何も関係ない、艶やかな髪が目の前に流れる。
「髪型のひとつやふたつ気にせずとも、君はいつも可愛い」
甘くささやく夫に、アイリーンは笑顔を返す。
「クロード様に言われると腹が立つので控えていただけますか」
「……手厳しいな」
「こんなつやつやの髪をなさって、そんなことをおっしゃるからです。どれだけわたくしが苦労してると思いますの」
ぐいぐいと遠慮なくクロードの髪をひっぱると、クロードが顔をしかめた。
「わかった、配慮に欠ける発言だった」
「認められても腹が立ちますわね」
「どうしろと」
「どうもこうもありません」
羨んだところでクロードの雨にも風にも湿気にも負けない髪が手に入るわけではない――と言おうとして、アイリーンは口をつぐむ。
いいことを思いついた。
「……なんなんですか、我が主。その髪型」
「よくわからないが今日一日この髪型でいろと言われた」
頭の上に巻き貝のようにねじり上げて作られた髪型が重い。ぐるぐる渦をまいた髪の間に花飾りまで散りばめられて、なんだか肩が凝る。
「髪が爆発する苦労を知れと言われた」
「なんかそれ、違いません?」
「僕もそう思うんだが、妻がご機嫌になったのでまあいいかと」
キースが呆れて雨の降る窓の外を見る。
「今日も平和でいいですねえ」
「まったくだ」
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#悪ラス
2020年Twitter初出
『魔王と竜帝でチョコを作れと言われたので』
「クロスオーバーはこの間限りじゃなかったのか」
「今度はバレンタイン企画だそうだよ。僕と君で一緒にバレンタインのチョコを作ってみてほしいってリクエストがあったらしい」
三角巾にきっちり髪を入れてまとめ、エプロンをつけて、ロリコンもといハディスが答える。
「君は作ったことないだろう、チョコ。だから僕が君に作り方を教えるよ」
従者に三角巾とエプロンをつけられ髪もひとまとめにさせられて、突然厨房に放りこまれたクロードは、眉をひそめた。
「君が、僕に?」
「大丈夫だ、そんな顔しなくても。ジルが僕に頑張ってって言ってくれたから、ちゃんと食べられるものを教えるよ。それに、僕、嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「こんなふうに誰かと一緒に作るなんて、友達みたいじゃないか」
にこにこするハディスに、クロードは胡乱な眼差しを向ける。
魔王の自分が言えた義理ではないが、すさまじく胡散臭い。
(バアルと作るほうがまだマシだ)
とついうっかり思ってしまったのも悔しいので、そうかと頷くだけにとどめる。
「まあ、頼む。アイリーンに変なものを食べさせるわけにはいかない」
「うん、まかせてくれ。ということで、君の材料はこれ」
そっとハディスが床から木箱を取り出した。中から出てきたのは包装されたチョコレートだった。板チョコだ。
焦げ茶の包装紙部分には『m●iji』と書いてある。
「……」
「適当なサイズに折って、ボウルに入れて、違うボウルに熱湯を入れて、そこにチョコの入ったボウルを浮かせて、油と分離しないようゆっくりとかして、それをそこにある好きな型に入れて、冷蔵庫に冷やしておわり。食べられるものはできる」
「…………」
「最終手段としては、これをラッピングし直して渡せばいいと思う。じゃあ頑張って」
「実は教える気がまったくないな?」
真顔で問うと、ふとハディスが目元を緩めた。
「僕、こういう台詞を他人に言える日がくると思ってなかったんだけど――君は顔がいいんだからチョコなんかどうでもよくない?」
ハディスの得体の知れない笑みにつられたように、クロードの口角もあがる。
「言われ慣れた台詞だが、君に言われるとすさまじく腹が立つな。なんというか、お前が言えたことかという気分になった」
「僕には君ほどの卑猥さはないと思う」
どこかで派手に雷が落ちたが、ハディスは気にする素振りもなくにこにこ笑ったままだ。
この男、絶対ろくでもない。
確信したクロードは、できるだけさわやかに問いかけた。
「ならあれか。君は可愛い系でも狙ってるのか、その全力で胡散臭い笑顔で」
「心外だな。僕はただのイケメンだよ」
「さすが、通報皇帝だの嫁だの中身が幼女だの言われているキャラは言うことが違うな」
「ははは、ヒロイン扱いされてヒーローに戻れない君からの忠告、痛み入るよ。サービスショットを求められて大変だね」
「三分クッ●ングのシルエットをつけたら笑いを取れそうな君には負ける」
「そんな話聞いてないよ、やる予定がどこに!?」
「そして最終的には必ず君も全裸にさせられるんだ……! 僕なんてコミカライズでも全裸になったんだぞ!」
「――この話、やめないか?」
眉をひそめたハディスに、クロードも遠い目になる。
「そうだな」
「真面目な話、君はほとんど料理をしたことがないんだろう。なら、市販のチョコを湯煎して溶かすだけでも立派な手作りだ。テンパリングだって初めてだろう? 大半の女の子の手作りだって、市販のチョコを使ってアレンジしてるんだし」
その言葉に嘘はなさそうだったので、クロードは『m●iji』と書かれた板チョコを手に取って嘆息する。
「まあ、それもそうか。じゃあ君も使うのか、これ?」
「僕はカカオから作るよ? お嫁さんにあげるんだぞ。手抜きなんてできない」
「……」
「再来年くらいは僕が栽培したカカオ豆で作ったチョコをジルにあげたい」
それはさすがにちょっと引くと思ったが、ハディスは真剣である。
馬鹿にするにも、ハディスは一回り近く年下なのだ。邪魔するのも大人げないと、クロードは引き下がることにした。
「わかった。頑張るといい。僕とアイリーンはもう身も心も夫婦だ。続編でまた引っかき回されるだろう君達と違って平和な未来しかない」
「なんだ君、知らないのか」
「何をだ?」
「ちょうど今、作者がとりあえずプロットとかいうのを作ろうとして」
なんのなどと愚問は聞かずに、クロードは転移した。
■
熱湯をぶっかけられてチョコ水と化したものを見せられて、アイリーンは方針転換を決意した。
「ジル様。うちのオベロン商会からバレンタイン商品は多数出ておりますわ。そこで選びましょう!」
「やっぱりそうなりますよね……」
「手作りじゃないの?なんていう男性などぶん殴って更生すべきです!」
「でも陛下は本気の手作りを持ってくるから、少しくらいわたしも……」
「なら余計、うちの商品を召し上がっていただくのはいい案ですわよ。ぜひハディス様のご意見も伺いたいですし、ハディス様の今後のお菓子作りも役立てると思いますの!」
「た、確かに。陛下も喜びそう……」
「アイリーン!!」
突如としてわって入った夫の声に、アイリーンは目をまばたく。
本日はバレンタイン企画。メインはヒーローふたりのチョコ作りである。その裏で、アイリーンはバレンタインくらいハディスにチョコを贈りたい、というジルの相談にのっていたのだが。
「どうなさいましたの、クロード様」
「ひょっとして陛下に何かありましたか!?」
「いや違う。違うんだが、逃げようアイリーン」
「はい?」
首をかしげている間に横に抱きあげられた。ジルの前だ。少女のきょとんとした眼差しがいたたまれず、アイリーンは赤くなる。
「ちょっとクロード様! ジル様の前で、はしたない」
「ついうっかりクロスオーバーとか言って、現在進行形で本編があるところと関わったのが間違いだった」
「いったいなんの話ですの。落ち着いて説明してくださいな」
「作者がプロットを作ろうとしているらしい」
「逃げましょう!」
なんのかを聞きたくないアイリーンは即断する。
「ジル様、失礼致しますわね! どうかお幸せに!」
「えっあ、はい……?」
「バレンタインのチョコは買ったほうがよろしいですわよ!」
その忠告だけは忘れずに届ける。頷いたジルにほっとして、アイリーンは夫の転移に身を任せた。
なんだったんだろう。首をかしげたジルの背後から、影が差す。
「陛下!」
「あっちは帰ったのか?」
「みたいです。なんだったんでしょう……?」
「続編が嫌なんじゃないか」
そういうものか。曖昧に頷いたジルを、ハディスが片腕で抱きあげる。
「君は嫌じゃないのか?」
「嫌じゃないですよ。わたしは陛下をいっぱいしあわせにしなきゃいけないんですから!」
胸をはったジルはたくましいお嫁さんだ。
(だがあの嫌がりよう。相当面倒なことばかりこなしてきたんだろうな……)
そう思うと先が思いやられる。だがハディスは微笑んだ。
「じゃあ僕は頑張って君にチョコレートを作らないとな」
ぱっと顔を輝かせたジルが成長するのにも、続編がいる。
なのでハディスは立ち向かうしかないのだ。
(終)
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#悪ラス #やり竜
2020年プライベッター初出
バレンタイン企画クロスオーバーSS
「クロスオーバーはこの間限りじゃなかったのか」
「今度はバレンタイン企画だそうだよ。僕と君で一緒にバレンタインのチョコを作ってみてほしいってリクエストがあったらしい」
三角巾にきっちり髪を入れてまとめ、エプロンをつけて、ロリコンもといハディスが答える。
「君は作ったことないだろう、チョコ。だから僕が君に作り方を教えるよ」
従者に三角巾とエプロンをつけられ髪もひとまとめにさせられて、突然厨房に放りこまれたクロードは、眉をひそめた。
「君が、僕に?」
「大丈夫だ、そんな顔しなくても。ジルが僕に頑張ってって言ってくれたから、ちゃんと食べられるものを教えるよ。それに、僕、嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「こんなふうに誰かと一緒に作るなんて、友達みたいじゃないか」
にこにこするハディスに、クロードは胡乱な眼差しを向ける。
魔王の自分が言えた義理ではないが、すさまじく胡散臭い。
(バアルと作るほうがまだマシだ)
とついうっかり思ってしまったのも悔しいので、そうかと頷くだけにとどめる。
「まあ、頼む。アイリーンに変なものを食べさせるわけにはいかない」
「うん、まかせてくれ。ということで、君の材料はこれ」
そっとハディスが床から木箱を取り出した。中から出てきたのは包装されたチョコレートだった。板チョコだ。
焦げ茶の包装紙部分には『m●iji』と書いてある。
「……」
「適当なサイズに折って、ボウルに入れて、違うボウルに熱湯を入れて、そこにチョコの入ったボウルを浮かせて、油と分離しないようゆっくりとかして、それをそこにある好きな型に入れて、冷蔵庫に冷やしておわり。食べられるものはできる」
「…………」
「最終手段としては、これをラッピングし直して渡せばいいと思う。じゃあ頑張って」
「実は教える気がまったくないな?」
真顔で問うと、ふとハディスが目元を緩めた。
「僕、こういう台詞を他人に言える日がくると思ってなかったんだけど――君は顔がいいんだからチョコなんかどうでもよくない?」
ハディスの得体の知れない笑みにつられたように、クロードの口角もあがる。
「言われ慣れた台詞だが、君に言われるとすさまじく腹が立つな。なんというか、お前が言えたことかという気分になった」
「僕には君ほどの卑猥さはないと思う」
どこかで派手に雷が落ちたが、ハディスは気にする素振りもなくにこにこ笑ったままだ。
この男、絶対ろくでもない。
確信したクロードは、できるだけさわやかに問いかけた。
「ならあれか。君は可愛い系でも狙ってるのか、その全力で胡散臭い笑顔で」
「心外だな。僕はただのイケメンだよ」
「さすが、通報皇帝だの嫁だの中身が幼女だの言われているキャラは言うことが違うな」
「ははは、ヒロイン扱いされてヒーローに戻れない君からの忠告、痛み入るよ。サービスショットを求められて大変だね」
「三分クッ●ングのシルエットをつけたら笑いを取れそうな君には負ける」
「そんな話聞いてないよ、やる予定がどこに!?」
「そして最終的には必ず君も全裸にさせられるんだ……! 僕なんてコミカライズでも全裸になったんだぞ!」
「――この話、やめないか?」
眉をひそめたハディスに、クロードも遠い目になる。
「そうだな」
「真面目な話、君はほとんど料理をしたことがないんだろう。なら、市販のチョコを湯煎して溶かすだけでも立派な手作りだ。テンパリングだって初めてだろう? 大半の女の子の手作りだって、市販のチョコを使ってアレンジしてるんだし」
その言葉に嘘はなさそうだったので、クロードは『m●iji』と書かれた板チョコを手に取って嘆息する。
「まあ、それもそうか。じゃあ君も使うのか、これ?」
「僕はカカオから作るよ? お嫁さんにあげるんだぞ。手抜きなんてできない」
「……」
「再来年くらいは僕が栽培したカカオ豆で作ったチョコをジルにあげたい」
それはさすがにちょっと引くと思ったが、ハディスは真剣である。
馬鹿にするにも、ハディスは一回り近く年下なのだ。邪魔するのも大人げないと、クロードは引き下がることにした。
「わかった。頑張るといい。僕とアイリーンはもう身も心も夫婦だ。続編でまた引っかき回されるだろう君達と違って平和な未来しかない」
「なんだ君、知らないのか」
「何をだ?」
「ちょうど今、作者がとりあえずプロットとかいうのを作ろうとして」
なんのなどと愚問は聞かずに、クロードは転移した。
■
熱湯をぶっかけられてチョコ水と化したものを見せられて、アイリーンは方針転換を決意した。
「ジル様。うちのオベロン商会からバレンタイン商品は多数出ておりますわ。そこで選びましょう!」
「やっぱりそうなりますよね……」
「手作りじゃないの?なんていう男性などぶん殴って更生すべきです!」
「でも陛下は本気の手作りを持ってくるから、少しくらいわたしも……」
「なら余計、うちの商品を召し上がっていただくのはいい案ですわよ。ぜひハディス様のご意見も伺いたいですし、ハディス様の今後のお菓子作りも役立てると思いますの!」
「た、確かに。陛下も喜びそう……」
「アイリーン!!」
突如としてわって入った夫の声に、アイリーンは目をまばたく。
本日はバレンタイン企画。メインはヒーローふたりのチョコ作りである。その裏で、アイリーンはバレンタインくらいハディスにチョコを贈りたい、というジルの相談にのっていたのだが。
「どうなさいましたの、クロード様」
「ひょっとして陛下に何かありましたか!?」
「いや違う。違うんだが、逃げようアイリーン」
「はい?」
首をかしげている間に横に抱きあげられた。ジルの前だ。少女のきょとんとした眼差しがいたたまれず、アイリーンは赤くなる。
「ちょっとクロード様! ジル様の前で、はしたない」
「ついうっかりクロスオーバーとか言って、現在進行形で本編があるところと関わったのが間違いだった」
「いったいなんの話ですの。落ち着いて説明してくださいな」
「作者がプロットを作ろうとしているらしい」
「逃げましょう!」
なんのかを聞きたくないアイリーンは即断する。
「ジル様、失礼致しますわね! どうかお幸せに!」
「えっあ、はい……?」
「バレンタインのチョコは買ったほうがよろしいですわよ!」
その忠告だけは忘れずに届ける。頷いたジルにほっとして、アイリーンは夫の転移に身を任せた。
なんだったんだろう。首をかしげたジルの背後から、影が差す。
「陛下!」
「あっちは帰ったのか?」
「みたいです。なんだったんでしょう……?」
「続編が嫌なんじゃないか」
そういうものか。曖昧に頷いたジルを、ハディスが片腕で抱きあげる。
「君は嫌じゃないのか?」
「嫌じゃないですよ。わたしは陛下をいっぱいしあわせにしなきゃいけないんですから!」
胸をはったジルはたくましいお嫁さんだ。
(だがあの嫌がりよう。相当面倒なことばかりこなしてきたんだろうな……)
そう思うと先が思いやられる。だがハディスは微笑んだ。
「じゃあ僕は頑張って君にチョコレートを作らないとな」
ぱっと顔を輝かせたジルが成長するのにも、続編がいる。
なのでハディスは立ち向かうしかないのだ。
(終)
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#悪ラス #やり竜
2020年プライベッター初出
バレンタイン企画クロスオーバーSS
『魔王様は魔道士を待っている』
キースとレイチェルに案内された廊下の光景に、アイリーンは頬を引きつらせた。
「……何をなさってますの」
「エレファスの帰りを待っている」
古城にあるエレファスの私室の扉前に魔王が三角座りをしている。その両隣に、護衛のウォルトとカイルまで同じ格好で座っていた。
「今日で休暇終わりなのに、あいつまだ帰ってこないとか! そんなに嫁さんがいいか、そうか! あーうらやましい!」
「ひどい裏切りだ。僕が待ってるのに、許せない」
「クロード様はともかく、お前のはひがみだろうが、ウォルト……」
「と言いながらあなたまで座りこんでいるのはどういうことなの、カイル」
「全員、エレファスさんが戻ってこなかったらどうしようって不安なんですよ」
キースだけが冷静にアイリーンに向けて説明する。
「こーなったら明日の朝、あいつの出勤時間までここで座って待ちましょうねクロード様!」
「そうだな。思い知らせてやる。僕がこんなに寒い思いをして廊下で待ってるんだと」
「それはさすがに……きっともうすぐ戻ってくる……」
「はーー? 今、もう夜中ですけどおぉ?? 戻ってくるわけねーだろ今頃嫁さんといちゃいちゃしてんだ、朝に戻ってくるつもりだぞ転移できるからって! あー!」
ウォルトが投げ出した両脚をばたばたさせる。クロードが赤い瞳を細めた。
「僕より妻がいいなんて、エレファスは浮気者だ」
「あー男の友情とかはかなーーい」
「仕事だ、戻ってくる。あいつは真面目な……いや裏切りが十八番だが」
「我が主。あなたの愛する奥様が迎えにきてるんですよ、寝室で休んでください」
嘆息と一緒にクロードの前でキースが仁王立ちした。
「アイリーン様が迎えにきたらちゃんと寝るって私めと約束しましたね?」
ここに案内された理由がわかった。ちらとアイリーンを見たクロードは恨みがましく言う。
「僕の妻は、聖王と正妃の仲裁で、今夜はまた戻らないと聞いたが」
「ええ。ですので私めが頭をさげてお連れしたんですよ」
「お前が呼ぶときてくれるのはどういうことだ?」
「日頃の行いです。変なからみ方しないでくださいよ」
「寝室に戻ったって、またアイリーンは出て行くんだろう」
「それは主の態度次第ですよ」
「エレファスも戻ってきてくれないかもしれない」
そこで妻である自分とエレファスが並ぶのはどういうことだ。――と思ったが、エレファスの休暇中、ずっとそわそわしていたことを思うと怒れなかった。
エレファスは故郷のためにクロードにつかえたのだ。その意味をちゃんとクロードは理解している。故郷のためなら平気で裏切るエレファスごと、受け入れている。
「ゼームスだって、遠くに行ってしまう」
完全に思考が落下方向にあるらしく、どんどんクロードが沈んでいく。
キースが眉をよせて、大きな息を吐き出した。
「わかりました、わーかーりーまーしーたー! エレファスさんとゼームスさんが主を裏切るような真似をしたら、私めがきちんとレヴィ一族とミルチェッタ公国を滅ぼす手配をしますので、元気を出してくださいクロード様」
「わかった、それならいい」
「ちょっそんな約束、安易になさらないでくださいませ!」
キースが約束してクロードが了承すると冗談にならない。
中腰になったクロードが、アイリーンが思わずあげた声に振り向いた。
「大丈夫だ」
「なんに対しての大丈夫ですの、それは」
「君に心配をかけることはない、ということだ。女子会とやらに戻るといい。ウォルト、カイル。お前達ももう休むように」
はぁい、と雑な返事でウォルトが立ちあがり、嘆息と一緒にカイルもそれに続く。
「古城で休まれますか、我が主。それとも皇城で?」
「そうだな……」
「アイリーン様。おわかりですよね?」
背後からレイチェルにささやかれた。振り向かなくても、優秀な侍女の圧はここまで届く。
わかっているとばかりに、アイリーンはわざとらしく咳払いをした。
「わ、わかっているわ。ロクサネ様はバアル様とお話したほうがいいでしょうし。あとはまかせていいわね、レイチェル?」
「もちろんです、そのように」
「クロード様。古城でお休みしましょう。わたくしも参りますわ」
ぱちりとまばたいたクロードに、やや目線をそむけながらアイリーンは続ける。
「しかたがないから、慰めてさしあげます。……さみしがり屋なんですから、クロード様は」
「……そうか」
ふわっとクロードが嬉しそうに笑う。
ああ、この人は本当に表情が豊かになってきた。
きっとアイリーンひとりだけでは成し遂げられなかったことなのだろう。でも、悔しくは思うまい。
「不思議だな。君がそばにいるとさみしくない」
「当然でしょう。わたくし、あなたの妻ですもの。エレファスと一緒にしてもらっては困りますわ」
ふんとそっぽを向くと、クロードが甘えるように腰に手を回してきた。
「それは、失礼した。ご機嫌をとらなくてはならないな」
「えっ……」
「実はがっついていると言われて、とても傷ついていたんだ」
慰めてくれるだろう?
そうにっこり笑ったクロードの腕からの逃亡は、妻として許されない。
■
「……で? なんで休暇明けの俺の仕事が、寝室の扉をあけることなんです!?」
「お前のせいだからだよ」
「部屋の前で一夜をあかさずにすんだのはアイリの……皇后陛下の犠牲のおかげだ」
「というわけではい、頑張ってくださいねエレファスさん」
ウォルトとカイル、とどめにキースにまで見捨てられたエレファスは、皇帝夫妻の寝室前で呆然とする。
固くクロードの魔力で閉ざされたこの扉をあけるとか、休暇明け早々なんの嫌がらせだ。
レイチェルまでキース達と一緒にうしろにさがって、完全に見守る体勢だ。
(ええー……いや、こっちに戻ったら三角座りのクロード様が俺の部屋の前にいるとか恐怖だけど)
ちらと見た窓の外は快晴。魔王様は本日もご機嫌だ。昨夜は吹雪だったそうだが。
「あー……クロード様、ただいま戻りました。エレファスです」
「……」
扉の向こうの沈黙が、なんだか冷たい。
嘆息したエレファスは、苦笑いで話を続ける。自分でつかえると決めた、主に。
「今日からまたこちらで暮らします。週末は、故郷に戻りますが。宜しくお願いします」
「……」
「国も、家族もいただきました。だから俺はあなたに尽くしますよ。まあキース様ほどは無理ですが!」
「名指ししないでもらえます?」
「ネイファさん……妻も、了承済みです。むしろそれでいいと。その証、というほどではないですが。妻からこれをクロード様にと渡されました」
そっとエレファスはネイファに持たされたお土産を袋から出す。
賄賂だ、さすが世渡り魔道士、などという単語が背後で聞こえたが、気にしない。
「試作品だそうです。手で持てる小型の写真機だそうで、アイリーン様の写真が撮れますよ」
ばあん、と派手な音を立てて扉が開いた。成功だ。
エレファスの背後で拍手が鳴った。
その後、ご機嫌で小型の写真機を持って皇城をうろつきまわる皇帝の姿が散見されたエルメイア皇国は、今のところ平和である。
畳む
#悪ラス
2020年プライベッター初出
『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』既刊重版御礼小説
キースとレイチェルに案内された廊下の光景に、アイリーンは頬を引きつらせた。
「……何をなさってますの」
「エレファスの帰りを待っている」
古城にあるエレファスの私室の扉前に魔王が三角座りをしている。その両隣に、護衛のウォルトとカイルまで同じ格好で座っていた。
「今日で休暇終わりなのに、あいつまだ帰ってこないとか! そんなに嫁さんがいいか、そうか! あーうらやましい!」
「ひどい裏切りだ。僕が待ってるのに、許せない」
「クロード様はともかく、お前のはひがみだろうが、ウォルト……」
「と言いながらあなたまで座りこんでいるのはどういうことなの、カイル」
「全員、エレファスさんが戻ってこなかったらどうしようって不安なんですよ」
キースだけが冷静にアイリーンに向けて説明する。
「こーなったら明日の朝、あいつの出勤時間までここで座って待ちましょうねクロード様!」
「そうだな。思い知らせてやる。僕がこんなに寒い思いをして廊下で待ってるんだと」
「それはさすがに……きっともうすぐ戻ってくる……」
「はーー? 今、もう夜中ですけどおぉ?? 戻ってくるわけねーだろ今頃嫁さんといちゃいちゃしてんだ、朝に戻ってくるつもりだぞ転移できるからって! あー!」
ウォルトが投げ出した両脚をばたばたさせる。クロードが赤い瞳を細めた。
「僕より妻がいいなんて、エレファスは浮気者だ」
「あー男の友情とかはかなーーい」
「仕事だ、戻ってくる。あいつは真面目な……いや裏切りが十八番だが」
「我が主。あなたの愛する奥様が迎えにきてるんですよ、寝室で休んでください」
嘆息と一緒にクロードの前でキースが仁王立ちした。
「アイリーン様が迎えにきたらちゃんと寝るって私めと約束しましたね?」
ここに案内された理由がわかった。ちらとアイリーンを見たクロードは恨みがましく言う。
「僕の妻は、聖王と正妃の仲裁で、今夜はまた戻らないと聞いたが」
「ええ。ですので私めが頭をさげてお連れしたんですよ」
「お前が呼ぶときてくれるのはどういうことだ?」
「日頃の行いです。変なからみ方しないでくださいよ」
「寝室に戻ったって、またアイリーンは出て行くんだろう」
「それは主の態度次第ですよ」
「エレファスも戻ってきてくれないかもしれない」
そこで妻である自分とエレファスが並ぶのはどういうことだ。――と思ったが、エレファスの休暇中、ずっとそわそわしていたことを思うと怒れなかった。
エレファスは故郷のためにクロードにつかえたのだ。その意味をちゃんとクロードは理解している。故郷のためなら平気で裏切るエレファスごと、受け入れている。
「ゼームスだって、遠くに行ってしまう」
完全に思考が落下方向にあるらしく、どんどんクロードが沈んでいく。
キースが眉をよせて、大きな息を吐き出した。
「わかりました、わーかーりーまーしーたー! エレファスさんとゼームスさんが主を裏切るような真似をしたら、私めがきちんとレヴィ一族とミルチェッタ公国を滅ぼす手配をしますので、元気を出してくださいクロード様」
「わかった、それならいい」
「ちょっそんな約束、安易になさらないでくださいませ!」
キースが約束してクロードが了承すると冗談にならない。
中腰になったクロードが、アイリーンが思わずあげた声に振り向いた。
「大丈夫だ」
「なんに対しての大丈夫ですの、それは」
「君に心配をかけることはない、ということだ。女子会とやらに戻るといい。ウォルト、カイル。お前達ももう休むように」
はぁい、と雑な返事でウォルトが立ちあがり、嘆息と一緒にカイルもそれに続く。
「古城で休まれますか、我が主。それとも皇城で?」
「そうだな……」
「アイリーン様。おわかりですよね?」
背後からレイチェルにささやかれた。振り向かなくても、優秀な侍女の圧はここまで届く。
わかっているとばかりに、アイリーンはわざとらしく咳払いをした。
「わ、わかっているわ。ロクサネ様はバアル様とお話したほうがいいでしょうし。あとはまかせていいわね、レイチェル?」
「もちろんです、そのように」
「クロード様。古城でお休みしましょう。わたくしも参りますわ」
ぱちりとまばたいたクロードに、やや目線をそむけながらアイリーンは続ける。
「しかたがないから、慰めてさしあげます。……さみしがり屋なんですから、クロード様は」
「……そうか」
ふわっとクロードが嬉しそうに笑う。
ああ、この人は本当に表情が豊かになってきた。
きっとアイリーンひとりだけでは成し遂げられなかったことなのだろう。でも、悔しくは思うまい。
「不思議だな。君がそばにいるとさみしくない」
「当然でしょう。わたくし、あなたの妻ですもの。エレファスと一緒にしてもらっては困りますわ」
ふんとそっぽを向くと、クロードが甘えるように腰に手を回してきた。
「それは、失礼した。ご機嫌をとらなくてはならないな」
「えっ……」
「実はがっついていると言われて、とても傷ついていたんだ」
慰めてくれるだろう?
そうにっこり笑ったクロードの腕からの逃亡は、妻として許されない。
■
「……で? なんで休暇明けの俺の仕事が、寝室の扉をあけることなんです!?」
「お前のせいだからだよ」
「部屋の前で一夜をあかさずにすんだのはアイリの……皇后陛下の犠牲のおかげだ」
「というわけではい、頑張ってくださいねエレファスさん」
ウォルトとカイル、とどめにキースにまで見捨てられたエレファスは、皇帝夫妻の寝室前で呆然とする。
固くクロードの魔力で閉ざされたこの扉をあけるとか、休暇明け早々なんの嫌がらせだ。
レイチェルまでキース達と一緒にうしろにさがって、完全に見守る体勢だ。
(ええー……いや、こっちに戻ったら三角座りのクロード様が俺の部屋の前にいるとか恐怖だけど)
ちらと見た窓の外は快晴。魔王様は本日もご機嫌だ。昨夜は吹雪だったそうだが。
「あー……クロード様、ただいま戻りました。エレファスです」
「……」
扉の向こうの沈黙が、なんだか冷たい。
嘆息したエレファスは、苦笑いで話を続ける。自分でつかえると決めた、主に。
「今日からまたこちらで暮らします。週末は、故郷に戻りますが。宜しくお願いします」
「……」
「国も、家族もいただきました。だから俺はあなたに尽くしますよ。まあキース様ほどは無理ですが!」
「名指ししないでもらえます?」
「ネイファさん……妻も、了承済みです。むしろそれでいいと。その証、というほどではないですが。妻からこれをクロード様にと渡されました」
そっとエレファスはネイファに持たされたお土産を袋から出す。
賄賂だ、さすが世渡り魔道士、などという単語が背後で聞こえたが、気にしない。
「試作品だそうです。手で持てる小型の写真機だそうで、アイリーン様の写真が撮れますよ」
ばあん、と派手な音を立てて扉が開いた。成功だ。
エレファスの背後で拍手が鳴った。
その後、ご機嫌で小型の写真機を持って皇城をうろつきまわる皇帝の姿が散見されたエルメイア皇国は、今のところ平和である。
畳む
#悪ラス
2020年プライベッター初出
『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』既刊重版御礼小説
『悪役令嬢なので竜帝陛下が誘拐中(5)』
あれほどのぞんだ扉がやっと開く。開扉を祝福するようなまぶしい光に、クロードは目を細めた。
やっとだ。
『白ザラメとグラニュー糖、精製度が高いのはどっち?』とか『焼き魚を作るとき塩を振るタイミングはいつ?』とかひたすら料理に関する問題が出てきたが、クロードもジルも家事能力がてんでないことが判明しただけだった。しかも途中から『調味料にはさしすせそとあるが、せはなに?』とか出てきた。さしすせそってそもそもなんだ。世界観無視しすぎじゃないのか。ラーヴェ帝国にはあるとでもいうのか、特に後半のすせそ。
とにもかくも当てずっぽうで見事にはずれ続け、脱ぎ続け、やっとたどり着いた妻の居場所では――。
「ということで、僕はあまり第二部に乗り気ではないんだ。絶対ひどい目にあう」
「そうですわねえ……大体この作者の傾向からいってヒーローはろくでもない目にしかあいませんもの。わたくしも散々、苦労させられて――あっ」
優雅にお茶をしていた誘拐犯と被害者がこちらにやっと気づいた。
「ク、クロード様! ああ、きてくださったのですね……! ハディス様、何かこう、適当にお願いします」
「あ。そうだ縄だった、それとも鎖かな。どっちがいい?」
「どっちでもいいですから早く!」
「おふたりとも! 何をしてるんですかっ……いい加減にしてください! クロード様が……っクロード様がこんな、あられもない姿になったのに!」
※地の文省略※
※お好きな姿を各自ご想像ください※
「陛下、せめてマントをクロード様に貸してさしあげてください……!」
「え、でも僕は今、悪者だぞ」
「でもクロード様、わたしが脱ぐの止めてくれたんですよ!?」
「君は脱いだら駄目に決まってるだろう!? 彼が脱ぐのとわけが違う! 彼は脱ぐ、君は脱がない、僕も脱がない!」
「ご自分をちゃっかりはずしましたね」
「だって僕の標準装備はエプロンという名前の割烹着だし」
「いいんだ……アイリーン。助けにきた」
ふらりと顔をあげたクロードに、アイリーンが頬を引きつらせた。
言うまでもないが、クロードの不機嫌度合いは天井を突き抜けている。
「僕の可愛いアイリーン。これ以上、僕の手をわずらわせたりしないな……?」
「あ、悪役の台詞になってますわよ、クロード様」
「それがどうした。僕は魔王だ」
薄く微笑んで手を伸ばしたクロードの前に、すらりとした剣がわってはいる。
ロリコン、もといハディスだ。
「それは僕を倒してからにしてもらおう。でないと話がおかしくなるじゃないか、困る」
「なるほど」
ばちっとクロードの両手に奔った魔力にジルが顔を青ざめさせる。
「ク、クロード様! 待ってください、わたしが説得しますから――陛下! クロード様はもう疲れておられます、もうやめましょう?」
「え、それだと僕に誘拐された彼女はどうなるんだ? うちに連れて帰る?」
「なんでそういう細かいところだけ真面目なんですか! 違います、もうお茶でもしたらいいじゃないですかってことで」
「……ひょっとして君は僕が魔王に負けるとでも?」
どちらかといえば格好をつけているだけだったハディスが、ふっと表情を変えた。
にこにこつかみどころのない得体の知れない笑顔が一枚だけはがれた気がして、クロードはまばたく。ふと見れば、そうっとアイリーンがその場から離れてシーツを用意していた。
「そんなことは言ってません。陛下が強いのは知っています」
「じゃあいいじゃないか。僕は君の言うことは聞かないぞ! あ、耳栓」
「させるか!!」
瞬間にジルがハディスが取ろうとした耳栓を魔力で爆発させた。
「これでわたしの声が聞こえますね、陛下」
止めに入っていたはずなのに、ジルが最初に手を出した。しかもすました顔はどちらかと言えば挑発的だ。
だがそれを見ているロリコンもとい竜帝も、目を細めて笑っている。
「君まで僕を侮ってもらっては困るな。僕には対君用の完全無欠の兵器がある」
「わたしはそう簡単にやられませんよ。陛下こそわたしを侮らないでください」
「いつまでそう言っていられるかな。この、ケーキを前に!」
ハディスが勝ち誇った顔で手のひらを前に出した。その上に、いちごがたくさんのったケーキが出てくる。
宝石のように輝くそのケーキに、ぱっとジルが顔を輝かせたあとぶんぶんと首を横に振ってから、一歩さがった。
「くっ――それは卑怯です、陛下!」
「さあ、これでも僕を倒せるというならくるといい!」
「クロード様、これを。風邪をひいてしまいますわ」
「ああ、ありがとう」
シーツをそっと肩からかけてくれたアイリーンに礼を言う頃には、クロードはすっかり飽きていた。
それを見抜いてやってくる妻に思うところがあるが「助けにきてくださってありがとうございます」とこっそり耳打ちされるとまあいいかと思ってしまうのだから、大概自分も甘い。
「クロード様、こちらにおいでになって。すごいんですのよ、ハディス様の作られたお菓子」
「ああ……やたらクイズもそれ関係だったな……」
「ジル様が食べるのが大好きなんですって」
「今ならこの特製野菜ジュースもついてくる! 果物も入っていておいしいぞ。さあ、負けを認めるんだジル!」
「卑劣なっ……あ、そうだ陛下、薬飲みましたか!?」
「あ、飲んでない」
「だめじゃないですか! そういえばだいぶ魔力使ったでしょう、また熱を出しますよ」
放っておいてもあっちはあっちで決着がつくだろう。
(あのロリコン、病弱設定までついてるのか)
それはまた苦労しそうだ。
アイリーンに新しい紅茶を注いでもらい、先にお茶会の席についたクロードは、頬杖を突く。クロードの隣の席に座ったアイリーンが、柔らかく笑った。
「お似合いですわね、あのふたり」
「そうだな。僕らほどではないがな」
「それはもちろんですわ。でも、あの方達はこれからなんでしょう。さきほどわたくしが手に入れた最新の情報によると、あちらも書籍化するんですって」
「それはまた大変だな。僕らも大変だった」
「でも、幸せになってほしいですわねえ」
それまでにひどい遭うのは彼らのほうだから、まあ多少の無礼は見逃してやろう。
そう思いながらクロードは新作ヒーローが作ったというクッキーを取った。
~終~
畳む
#悪ラス #やり竜
2019年プライベッター初出
「悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました」×「やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中」
年末年始特別クロスオーバーSS その5(完結)
あれほどのぞんだ扉がやっと開く。開扉を祝福するようなまぶしい光に、クロードは目を細めた。
やっとだ。
『白ザラメとグラニュー糖、精製度が高いのはどっち?』とか『焼き魚を作るとき塩を振るタイミングはいつ?』とかひたすら料理に関する問題が出てきたが、クロードもジルも家事能力がてんでないことが判明しただけだった。しかも途中から『調味料にはさしすせそとあるが、せはなに?』とか出てきた。さしすせそってそもそもなんだ。世界観無視しすぎじゃないのか。ラーヴェ帝国にはあるとでもいうのか、特に後半のすせそ。
とにもかくも当てずっぽうで見事にはずれ続け、脱ぎ続け、やっとたどり着いた妻の居場所では――。
「ということで、僕はあまり第二部に乗り気ではないんだ。絶対ひどい目にあう」
「そうですわねえ……大体この作者の傾向からいってヒーローはろくでもない目にしかあいませんもの。わたくしも散々、苦労させられて――あっ」
優雅にお茶をしていた誘拐犯と被害者がこちらにやっと気づいた。
「ク、クロード様! ああ、きてくださったのですね……! ハディス様、何かこう、適当にお願いします」
「あ。そうだ縄だった、それとも鎖かな。どっちがいい?」
「どっちでもいいですから早く!」
「おふたりとも! 何をしてるんですかっ……いい加減にしてください! クロード様が……っクロード様がこんな、あられもない姿になったのに!」
※地の文省略※
※お好きな姿を各自ご想像ください※
「陛下、せめてマントをクロード様に貸してさしあげてください……!」
「え、でも僕は今、悪者だぞ」
「でもクロード様、わたしが脱ぐの止めてくれたんですよ!?」
「君は脱いだら駄目に決まってるだろう!? 彼が脱ぐのとわけが違う! 彼は脱ぐ、君は脱がない、僕も脱がない!」
「ご自分をちゃっかりはずしましたね」
「だって僕の標準装備はエプロンという名前の割烹着だし」
「いいんだ……アイリーン。助けにきた」
ふらりと顔をあげたクロードに、アイリーンが頬を引きつらせた。
言うまでもないが、クロードの不機嫌度合いは天井を突き抜けている。
「僕の可愛いアイリーン。これ以上、僕の手をわずらわせたりしないな……?」
「あ、悪役の台詞になってますわよ、クロード様」
「それがどうした。僕は魔王だ」
薄く微笑んで手を伸ばしたクロードの前に、すらりとした剣がわってはいる。
ロリコン、もといハディスだ。
「それは僕を倒してからにしてもらおう。でないと話がおかしくなるじゃないか、困る」
「なるほど」
ばちっとクロードの両手に奔った魔力にジルが顔を青ざめさせる。
「ク、クロード様! 待ってください、わたしが説得しますから――陛下! クロード様はもう疲れておられます、もうやめましょう?」
「え、それだと僕に誘拐された彼女はどうなるんだ? うちに連れて帰る?」
「なんでそういう細かいところだけ真面目なんですか! 違います、もうお茶でもしたらいいじゃないですかってことで」
「……ひょっとして君は僕が魔王に負けるとでも?」
どちらかといえば格好をつけているだけだったハディスが、ふっと表情を変えた。
にこにこつかみどころのない得体の知れない笑顔が一枚だけはがれた気がして、クロードはまばたく。ふと見れば、そうっとアイリーンがその場から離れてシーツを用意していた。
「そんなことは言ってません。陛下が強いのは知っています」
「じゃあいいじゃないか。僕は君の言うことは聞かないぞ! あ、耳栓」
「させるか!!」
瞬間にジルがハディスが取ろうとした耳栓を魔力で爆発させた。
「これでわたしの声が聞こえますね、陛下」
止めに入っていたはずなのに、ジルが最初に手を出した。しかもすました顔はどちらかと言えば挑発的だ。
だがそれを見ているロリコンもとい竜帝も、目を細めて笑っている。
「君まで僕を侮ってもらっては困るな。僕には対君用の完全無欠の兵器がある」
「わたしはそう簡単にやられませんよ。陛下こそわたしを侮らないでください」
「いつまでそう言っていられるかな。この、ケーキを前に!」
ハディスが勝ち誇った顔で手のひらを前に出した。その上に、いちごがたくさんのったケーキが出てくる。
宝石のように輝くそのケーキに、ぱっとジルが顔を輝かせたあとぶんぶんと首を横に振ってから、一歩さがった。
「くっ――それは卑怯です、陛下!」
「さあ、これでも僕を倒せるというならくるといい!」
「クロード様、これを。風邪をひいてしまいますわ」
「ああ、ありがとう」
シーツをそっと肩からかけてくれたアイリーンに礼を言う頃には、クロードはすっかり飽きていた。
それを見抜いてやってくる妻に思うところがあるが「助けにきてくださってありがとうございます」とこっそり耳打ちされるとまあいいかと思ってしまうのだから、大概自分も甘い。
「クロード様、こちらにおいでになって。すごいんですのよ、ハディス様の作られたお菓子」
「ああ……やたらクイズもそれ関係だったな……」
「ジル様が食べるのが大好きなんですって」
「今ならこの特製野菜ジュースもついてくる! 果物も入っていておいしいぞ。さあ、負けを認めるんだジル!」
「卑劣なっ……あ、そうだ陛下、薬飲みましたか!?」
「あ、飲んでない」
「だめじゃないですか! そういえばだいぶ魔力使ったでしょう、また熱を出しますよ」
放っておいてもあっちはあっちで決着がつくだろう。
(あのロリコン、病弱設定までついてるのか)
それはまた苦労しそうだ。
アイリーンに新しい紅茶を注いでもらい、先にお茶会の席についたクロードは、頬杖を突く。クロードの隣の席に座ったアイリーンが、柔らかく笑った。
「お似合いですわね、あのふたり」
「そうだな。僕らほどではないがな」
「それはもちろんですわ。でも、あの方達はこれからなんでしょう。さきほどわたくしが手に入れた最新の情報によると、あちらも書籍化するんですって」
「それはまた大変だな。僕らも大変だった」
「でも、幸せになってほしいですわねえ」
それまでにひどい遭うのは彼らのほうだから、まあ多少の無礼は見逃してやろう。
そう思いながらクロードは新作ヒーローが作ったというクッキーを取った。
~終~
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#悪ラス #やり竜
2019年プライベッター初出
「悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました」×「やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中」
年末年始特別クロスオーバーSS その5(完結)
帝城を抜け出すのはルティーヤの得意技である。とはいえそろそろ終わり時だなと思っていた。帝城を抜け出して会っている同級生も自分も、新しくラーデアにできる士官学校の編入準備を始めるからである。
「俺は夏の終わりにはラーデアに引っ越す予定だよ。お前は?」
さっき公園で買ったばかりのパイの包みを開きながらノインが問う。すでに半分以上たいらげているルティーヤは、ぺろりと口の周りについたジャムをなめて答えた。
「僕は今後の状況次第かな。あとはあの嫌みったらしい兄上たち次第」
「ジル先生もハディス先生もお前を送り出してくれるよ」
「どうだかね。そもそもこの状況で開校できるのかっつーの」
クレイトスとの会談の行方次第では開戦だ。その会談も現在進行形で竜妃が行方不明になったり、馬鹿兄がこじらせを発症してぐちゃぐちゃにしようとしている。
「そういえば、ちょっと前に、副級長からみんなバイトするって手紙がきてたよ。ロジャー先生が引率らしい」
ノインが噴水広場に足を向けながら、話題を変えた。
「お前のところの副級長たちも一緒だって」
「は? なんでその組み合わせ? 水と油だろ」
エリート金竜学級の真面目な優等生女子と、落ちこぼれ蒼竜学級の不真面目でさぼり癖の強い男子だ。いったいどうしたら同じバイトをするなんて話になるのか。
「詳細が書いてなかったから気になってるんだ。お前のところに何かきてないか?」
号外、という大声と一緒に、新聞売りが噴水広場を新聞を撒き散らしながら回っている。
「検閲されるから送ってくるなって言ってある。ロジャー先生、行方知れずじゃ――っぷ」
通りすぎさまに投げられた新聞が、運悪くルティーヤの顔を直撃した。なんだよ、と悪態をつきながらルティーヤは新聞をはぎ、見出しに目を通しながら最後のパイを口に含み、噴き出した。
「ルティーヤ。行儀が悪い」
うるさい、と返したいが言葉にならない。ただ、咽せる原因になった新聞の見出しが見えるよう、ノインに突き出す。数秒、間があって、ノインも咽せた。
「……っお前もひとのこと言えないだろ!」
「だっ……だって、それ……っ!」
――『金蒼の竜翼団』アルカから女王を救出!! 次々拠点を壊滅させる義賊集団、その正体は子どもたち!?
「バイトってこれかよ! 何やってんだあいつら!?」
「……ジル先生って、今、行方不明なんだっけ?」
「……僕は知らないからな。なんにも知らないからな! 関係ないぞ!」
「団長はお前なのかな、やっぱり」
「冗談じゃない、やるならお前だろ!」
「もし俺なら、最終的にはハディス先生ってことで」
怒鳴ったルティーヤにノインがさわやかな笑顔で権力にぶん投げた。
「お前、ほんと最近、手段選ばなくなってきたな……」
「でないとやってられないよ。……でも、金蒼か……蒼金よりはいいかな」
「は?」
かちんときて、ルティーヤは新聞を握り潰す。
「キンソウより、アオガネのほうが響きいいだろ。この点はやり直しだよ」
「主導権を握ってるほうが先に名乗るのが世の常だよ」
「は~~~~? 義賊って時点で世の常からはずれてんだよ。蒼い竜はいないんだから蒼金のほうが意味が通るし、存在しないってかっこいいじゃん!」
「じゃあ公的には金蒼で、裏では蒼金を名乗るのはどうかな」
「功績だけ掠め取ってく気か、このクソエリート!」
「じゃあじゃんけんで決めようよ。じゃんけん」
握りこぶしの勢いで出してしまったルティーヤの形はグーで、ノインの手はパーだ。くっそおおおとルティーヤはしゃがみ込もうとして、気づく。
地面が真っ暗だった。さっきまで晴れていたのに――ばっと、帝都の空を仰ぎ見た。
空が一面、竜の集団の影に覆われている。それ自体、珍しくはない。
その竜たちが全員、黒い靄に覆われていなければ。
「――ルティーヤ、あれ、こないだお前が言ってた……」
竜たちはまっすぐ、どこかを目指して飛んでいく。通り雨のようにすぎていった影に、周囲がざわめき始めていた。
「なんか今の、おかしくなかったか? 逆光のせいかな」
「馬鹿だな、知らないのかお前。あれはな、最近発見された新種の竜って話だ」
「へえ、じゃあラーヴェ様の新しいご加護ってやつか?」
男はありがたや、とおどけて拝んでみせている。
「――ノイン、聞いたことは?」
「珍しい竜の噂ならいつのことだけどね。でもあれを新種ってのは初めて聞いた」
誰かが故意に噂を流している。竜の花冠祭で口止めをしたのが仇になったのか。
「僕、城に戻る」
「俺は噂の大元、当たってみるよ。何かわかったら連絡する」
ヴィッセルならもう把握しているかもしれないが、情報は多いほうがいい。
竜神ラーヴェの実在を、力を、心の底から信じている者は少ない。でなければ竜帝の兄はあんなに苦労しなかっただろう。
でも、まるで水や空気のように、根付いているのだ。竜に関して何かあれば竜神による加護と誰もが疑わない――それがラーヴェでの信仰心だ。
なのに、もし、あの竜が竜神ラーヴェに従わないなんて知られたら。
ライカであの兄は、竜に関する理を書き換えてみせた。心配しすぎかもしれない。けれど、嫌な予感がした。
竜神の威光が翳れば、竜帝はもうただの人間だ。いつ、人間から追い落とされたっておかしくない。
畳む
#やり竜
サイト書き下ろし(7巻没原稿)